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寄り道しながら万葉集

宇治拾遺物語

2005年4月10日スタート NHK第2放送 <古典講読>
「宇治拾遺物語」を聞いてまとめたものです。
参考資料「新古典文学大系」 岩波書店
講師 三木 純人
朗読 加賀美 幸子


(1)序文
作者は源隆国(1077年 没)
年をとってから、都の暑さに耐えかね5月から8月まで
宇治にこもっていたので、宇治大納言といわれたそうだ

だれかれかまわず人を呼び集めていろいろな話をさせ書き残したという
物語には、天竺のことや唐のこと日本のこと、尊いことやおかしいこと
怖ろしい事、あわれな事 時々は嘘の話もあったそうだ
もとは14帖だったけれど 、のちの人が書き足したのでそれ以上になったという
宇治拾遺物語の成立は1220年頃だそうだ


巻1-1 道命阿闍梨

道命阿闍梨は、藤原道綱の子で、蜻蛉日記の作者の孫
(更級日記の作者は蜻蛉日記の作者の姪なんだ)

蜻蛉日記の作者は、平安美人3歌人の一人だったので
その孫の道明阿闍梨は、かなりのハンサム

彼は好色な僧だった。顔もよく声もよく、読経は天下一品  
その彼が和泉式部の所に通った翌朝、身を清めることなく
読経をするとある翁が近寄り「すばらしいお経だ」と言った。

道明阿闍梨は「いつものことなんだけれど今日に限ってどうしてそんなことを
言うのか」 と問いかけた。

翁が言うのには、「身を清めて読経をすると偉い神様たちでいっぱいになり
私なんかは聞くことができないが、今日は偉い神様が来ていないので
すばらしいお経を聞くことができ、忘れられない日になった。」と言ったそうだ

この翁とは日本の神様で、いわゆる道祖神。
偉いお坊さんとはインドの僧で梵天や帝釈天なんだって
お経はいいかげんな状態で読んではいけません、身を清めて読むのと
そうでないのとでは違いますよ

こんなことってどこにもありますよねー
どうやらこの時代、いい加減なお坊様があちこちにいたようですよ。
道命阿闍梨と和泉式部のスキャンダルは結構有名だそうで、これからも登場するそうだ
  
ふ~ん?平安時代のスキャンダルってどうやって人から人に伝わったのかな?

ちなみに和泉式部は好色の美人歌人で有名、で、その子は小式部内子 だ。

「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立」(小式部内子)って
百人一首にあったっけ

この歌からもお母さんって有名な歌人なんだということがわかるね。



(2)巻 1の2 丹波の国篠村平茸生事

これも昔の話なんだそうだ 、

丹波の国篠村(現在の亀岡市あたり)には
何年もの間、平茸がやったら 採れていたんそうだ。

村の人は、この平茸を自分で食べたり人さまにあげたりしていたそうだ。
ある時、その村の頭にあたる人の夢の中に、髪の毛がつかめるほども伸びた戒律を守らないいかげんな法師が2~30人出てきて 、「私どもは長年みなさまに奉仕(法師・胞子とかけている)していた(食べられていた)けれど、よそに行くことになったので何も言わずに去るのは残念なので挨拶にきた」と言ったそうだ。

びっくりしてこの夢を人に話すと、「わたしも同じ夢を見た」と言う人が何人も
いたんだって。

が、それが何の意味かわからないままその年も過ぎて、

次の年 茸が採れるころになったので山に入ってみると茸はなんにも出ていなかったそうだよ。
(法師が平茸なら出るはずはない。だってよそに行く・・・
ってどこかへいっちゃったから)


「どうしたんだろう?」と里人が思っていると、
<見識がないのに、名利ばかりを求めていいかげんな説法する法師は、
平茸になる・・・>ということを昔、故中胤法師言ったそうだ。

平茸はどうしても食べなくてはならないというものではないよなー
だって平茸は不浄説法する法師の生まれ変わりかもしれないからね。

夢物語は宇治拾遺物語には繰り返し出てくるそうだ。
平安末期から鎌倉初期はたくさんの出来事があり強烈な印象に残ることがあったという。
  
それにしても、法師、奉仕、胞子と掛けたのはスゴイな~


(3)巻1-3 鬼こぶ被取事

これも今は昔のことだが、

右の顔に大きいみかん位のコブがある翁がいたそうだ。
そんな顔なので、人とのつきあいはなかったそうだよ。

翁は薪をとって生計を立てていたそうだ、ある日山へ行くと風雨が激しくなって帰るに帰れなくなり、近くの木の穴にもぐってまんじりともしないでいると、遠くからやかましい音が聞こえてきた。

この翁は 山の中に一人でいたので、人の気配がとてもうれしかった。

穴からそうっと覗くと、なんとまあ赤い色の身には青い物を着、黒い身には赤いふんどしを付けたなんとも言いようのない鬼どもが百人ほど集まって、ほこらの前で昼のように火を焚いて酒盛りを始めた。
それはまるで人間と同じようだったそうだよ。

上手に舞う鬼、へたくそな鬼などが舞ううち、頭の鬼は「今日は珍しい踊りが見たいな」
と言った。

それを聞いた翁は、まるで神仏がとりついたかのように「どうなってもいいから舞ってみよう!」と思い身体を様々にクネクネしながら舞った。

鬼達はとてもびっくりしたけれど、翁の踊りがあまりにも上手だったので大喜びだった。
鬼は「酒盛りの時はいつも来て舞って欲しい」と言った。

でも、もし来なかったら困るのでおじいさんのコブを質にとることにする。

「このコブは大切な物なので取らないでください」なんて翁は言っちゃったりしてる。

「そんなに惜しいものならきっとまたやって来るのでとってしまえ」と言って、ねじって取った。翁は仕事も忘れて急いで家に帰った。

隣のおじいさんはコブの無くなった翁を見てびっくり。「どこの医者でとったのか?」と聞くので、今までのことを詳しく教えた。

「わたしも同じやり方でこのコブを取ってこよう」というので、やり方を事細かに教えてやった。
この翁は聞いた通り木の穴に入って待っていると、鬼が酒宴をした。そこで、こわごわ舞うと

「今日はなんとへたくそだ、質にしたコブを返してやる」と言った。

隣の翁はなんと両方の頬にコブがついてしまった。

他人のことはうらやんではいけないとさ!

昔話では、良いおじいさん悪いおじいさんという設定になるが、
「宇治拾遺物語」では善悪は語られていない。

誰でも人を羨むことはあるよね。
自分の運命は自分で切り開いていこうね、
と、ここでは軽く言っているそうだよ。


(4)巻1-4 伴大納言事

これも今は昔のこと、

伴大納言善男は佐渡の国の地方官だったそうだ。

善男は西大寺と東大寺に足をかけてまたいだ夢を見たそうだよ。

妻にこの夢の話をすると
「あなたの股はいつか裂けるよ」と言ったそうな。

つまらないことを話してしまったとしょんぼりして、仕事に行った。

すると上司は「どうしたの浮かない顔をして」と尋ねた。
この上司の人相見はよく当たったそうだ。

いつもはそんなことはしないのに、丁寧に座布団を敷いてもてなしてくれた。
善男は「わたしを上座に座らせまさか股を裂いたりしないだらうな」と思っていると

「その夢をとんでもない人に話してしまったね、必ず高貴な位につくけれど、
事件が起こって罰せられる」と言う。

その後善男は都にのぼり大納言になったけれど罪をかぶったそうだ。

ああ言われた通りになったなぁ~

夢はゆめゆめ人には語らない方がいいのか、語った相手が悪かったのか?

わたしはあまり夢を見ないが、いい夢は誰にもじゃべらず秘密にしようか?
悪い夢はだれかれかまわず話しちゃおうか?  

悩むところだ

(5)巻1-12 児ノカイ餅スルニ空寝シタル事

これも今は昔のことだが、比叡山延暦寺にある児がいた。
僧たちが寝る前のひと時、「さあ、かいもちを食べよう」と言うのを
聞いた児はとてもうれしくなり期待した。

できあがるのを、寝ないで待っているのもみっともない「きっと起こしてくれるだろう」
と思い皆が騒がしい音を立てているのを聞きながら横になっていた。
「もしもし起きなさい」と言われ、うれしいなと思ったけれど、
一度で起きてはみっともない、もう一度呼ばれてから起きようと我慢した。

「幼い人はもう寝てしまったようなので、お起こししないように」というのを
聞き、もう一度起こして欲しいなと思いながら寝ていると、むしゃむしゃと
食べる音がするのが聞こえてきて、どうしようもなくなりかなりたってから
「はい」と返事をしたら、僧達は大笑いをしたのだった。

この時代、お寺に預けられる児は貴族のなど、身分の高い人の子弟だった。
小さい時からきちんと躾られていたので、かい餅を食べたかったけれど
すぐに欲しいとは言えなかったそうだよ。

少年だものお腹はすくし、みんなの美味しそうな音を聞いたら食べたくなるよね。


(6)巻2-14  柿木仏現事


延喜の御門の時であった。(910~923)

5条の天神の辺りに大きい柿の木があった。その木には実がならなかった。
ある時木の上に仏が現れたといい、馬や車を止めておけないほど京中の人が
大勢見に来た。
5~6日後に、右大臣(源光)は本当の仏は世の末に出るものだ、
わたしが行って確かめてくると言い正装をして出掛けた。

光は集まっている人をのけさせ、2時間ほどまばたきもせずわき目もしないで
見つめていた。
あまりにも見つめられて、どうにもならなくてトビは羽が折れて土の上に
落ちてしまった。
バタバタしているのを子供達が打ち殺した。
大臣は「やっぱりな」と言って帰っていった。

そこで人々は「大臣はたいそう立派なお方だ」と言い合ったそうだ。

源光は菅原道真が太宰府に追いやられた後すぐに右大臣になった人で、この事件の後
狩りに出掛けて怪死しその遺体も見つからなかったという。

道真を追放した後、都では洪水や落雷など天変地異が起こり追放した人は、
光を残してみんな死んでしまい、残ったのは光だけだったという。
5条の天神のあたりは道真の屋敷があった所だそうだ。


実はこの話、賢き大臣の話のようにも思えるが、
知る人ぞ知る道真の報復の話じゃないの?








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